俺が暮らすこの街にはどんな肩こりもほぐし、まるで翼が生えたかのような健康状態をもたらしてくれる素晴らしい温泉があるらしい。
最近は仕事でモニターばかりを眺める日々、身体のあちこちが痛く、特に長時間モニターを見ている都合上、肩こりが酷くてちょうど温泉に浸かりたいと考えていた。
俺は近所の温泉へと向かう。
温泉は大混雑、かなりの混みようで帰ろうかと思案していたところ「お、垣根じゃん、久しぶり」と不意に声をかけられる。「おお!お前か!」友人の中浜だった。
中浜は高校まで一緒の友人だったが、高校卒業からは会っていない。10年ぶりくらいの再会だった。中浜の後ろには小さな子供がいた。中浜の息子らしい。
俺は中浜と風呂で久しぶりに語りあった。
中浜は俺と違い、20代の始めで結婚して半ばには子供がいたらしい。30代に差しかかる俺たちは、どうやら大分違う道のりを歩んでいたようだった。
俺は中浜がまぶしく見えた。なんだか、社会の責任を放棄して好きに生きている気がしたからだ。そんなことを言うと、中浜はお前がうらやましいよ、と言う。自由というのはそれほどまでに眩しいものなんだそうだ。
俺は自分自身の生き方を省みて取るに足らない生き方だと思っていた。
だけど、人にはそれぞれの生き方がある。当たり前だが、そんな当たり前に気づけたのはこうやって中浜と風呂で話していたからだった。
中浜の子どもが「ぼく、コーヒー牛乳が飲みたい!」とせっつかす。子どもにせかされるようにして、中浜は俺に「また、会おうぜ」と挨拶をして去っていく。
「大丈夫だ。またかならずここで会うよ」
俺とお前が働いて疲れる限りな、と続けて言いかかけて、それは無粋だとやめた。
温泉は平等だ。入浴した万民の疲れを平等に癒してくれる。
俺たちに翼があるかはわからないが、明日からもまたそれぞれの世界で羽ばたいて、疲れたらまたここに癒やしに来ような、そんなことを中浜の家族が帰ってく姿に手を振りながら思った。
ロッカーの鍵を返して、靴の鍵をあけて、明日から俺も頑張ろう、と、そう思った。
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