私は東北地方の山中、少し大きな集落の外れで、時計技師をしておりました。
昭和の初めで、私はまもなく不惑を迎えようというころでした。
職業柄どうしても目を傷めてしまうことと生来の虚弱な体質でもって、
幸いというかなんというか、この身を直々に御国に捧げることはできませんでした。
当時、私の工房にしばしば訪れる青年がいました。
鈴木平一郎という彼は黒目の多い眼差しにがっちりとした肉体が美しい男でした。
私の仕事に対していささか過大な評価をしており、私の技術をもって軍部の兵器開発に参画すれば、兵隊たちの命を百も千も救えるでしょうと、ここに来るたび言うのでした。
彼としては、私を軍部へ送り出したかったのかもしれません。
しかし彼はそれ以上にただ純粋に、機械の持つ複雑さへの興味と、何より私との時間への期待から、ここを訪れていたのではないかと思いたくて仕方がありません。
私といえば、彼の外からも内からも湧き出る力強さと、それと同居するあどけなさに魅了されていました。
正直に申し上げれば、恋慕と言って差し支えないものでした。
彼の言葉にただ微笑みを返しながら、彼を眺めていただけでした。
しかしある夏、彼は自ら志願して、東京へ行くことを決めました。
彼はいつもよりも釣り上がった眉毛で、勇ましく私にそれを伝えました。
そして言うのです。
「先生、これを己れだと思い、この工房に置いてはくれませんか」
それは彼が幼少の時分に山で見つけたという金鉱石でした。
「己れがもし無事に戻れたら、ここから金を取り出して、先生に時計を作って頂きたいと思っています」
彼はそう笑って、勇ましく旅立ちました。
彼が訪れなくなり、冬を越えて春を迎えました。
私を訪ねてきたのは、やはり黒目がちな、しかし彼よりもほっそりとした青年でした。
彼は鈴木三郎次といい、平一郎の弟であると私に告げました。
三郎次は、平一郎の思い出話を私に聞かせました。
幼少の頃からいかに腕白で、ご両親やきょうだいを困らせたか。
ご両親が身体を悪くしてからは、どれだけ働いて家を守ったか。
話の礼にと、この工房で平一郎が組み立てた、うまく噛み合わない歯車を渡すと、彼は切なげに微笑しました。
「先生、正直、私は先生をお恨みしておりました。先生が兄を戦争に駆り立てたのではないかと」
三郎次が言いました。
「兄は、平一郎はここでただ無邪気に、物珍しい機械を眺めて、先生に好奇心をぶつけていただけなのですね。昔と変わらず」
そう言って細める目は平一郎のものとよく似ていました。
それからは三郎次が工房を訪れるようになりました。
私は彼の瞳の奥に、彼の兄を透かし見ることを内心詫びながらも、彼を受け入れました。
三郎次は兄と違い丈夫ではなく、本当は野山で花を眺めて暮らしたいのだと言いました。
私はそんな彼に寄り添いたいと思うようになっていきました。
そして彼にも東京へと行く日が来ました。
「先生、僕は兄とは違います。あちらへ行くのが恐ろしい」
俯き逸らされた彼の目を見て私は気づきました。
それは別れ際の平一郎と同じ眼差しだったのです。
平一郎は勇敢なだけの青年ではなかった。
彼も恐ろしかったのだと、私は一年もかかってようやく気付いたのです。
震える三郎次に、私は何か、花を一輪もらえないかと頼みました。
「私がもし無事に戻れたら、お持ちします」
三郎次を見送ってから私は、仕事に打ち込むことしかできませんでした。
そして今日まで、あの兄弟のことを忘れた日は一日たりともありません。
一度、集落へ降りた日に、兄弟が戦死したことを伝え聞きました。
引き裂かれた軍帽と手帳だけが、ご実家へ送られてきたのだそうです。
私は仕事を続けなくてはなりませんでした。
私は表向きは時計技師をしながら、軍の要請を引き受けておりました。
私が制作していたのは、腕が吹き飛ばされても起動可能な自決装置でした。
腰部に装着した手榴弾から、いくつかの機構を通過して首元まで伸ばしたピンを、口で引くことで起動させるものです。
彼らがピンを引いたのかは知れません。
戦争が終わり、私はまだルーペを覗いています。
私に出来ることは、机上の金鉱石に花を手向けることのほかにありません。
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