棗 カナが銀河鉄道の切符をなくしてしまったのは、炎の魔女との約束を破ってしまったからだった。
カナは岩手で暮らしていたが、父親の仕事の都合でオレゴンへ来ていた。
オレゴンの青空は岩手の開けた平野でみる青空とどこかにていたが、しかし空気の質感が本質的に異なっていた。
カナはオレゴンの片隅で孤独を感じていた。スクールに日本人はカナだけだったし、10歳の女の子にとって生活環境がガラッと変わってしまうことは、もう一度生まれ変わってしまうような、そんな大変さがあった。一刻も早く、岩手へ帰りたかった。
そう思い橋の上で泣いていたときだ。
さっと、サイダーの瓶が差し出される。見上げると、大きな女がカナを見下ろしていた。
「おいおい、いい女が台無しじゃないか」
女は、ウェーブがかった髪が特徴的で、パンタロンをはいていた。傍らに置いてあるいろいろなところが尖ったぴかぴかの車は彼女のものだろうか。
カナは渡されたサイダーに口をつける。しゅわしゅわと飲みやすい。
「あなたは誰?」カナが問うと、女はにいっと笑って言う。
「私は、魔女。よく炎を操る炎の魔女だなんて言われてるけど、ただの学者さ」
「炎の魔女?」「ウープス、そらきた。その胡散臭い表情。本当だよ。見せてやろうか」
きょとんとするカナの眼前で、魔女は空に向かって手を広げる。すると風がざわざわと鳴り出して、オレゴンの薄雲たなびく青空が次第に夕焼けに染まっていくのが見える。
まるで牧草地帯が全て燃えてしまったかのような夕焼けに、カナの視線は釘付けになる。
「そら、どうだ。たしかに炎の魔女だろう」「うん」
カナはサイダーの瓶をぎゅっと握ってうなずいた。
魔女の名前はケイト。ケイトは、近くの州立大学で数学の教授をしていたようだった。カナはスクールに居場所がなかったから、授業が終わるとバスで州立大学へ向かった。魔女はカナに算数を教えた。
魔女の本当の専門は先祖代々伝わる錬金術だったが、そこから派生した数学を大学では教えているという話だった。
「異端なのさ、あたしは」ケイトは言う。
「ステイツのほとんどの人間はコーラが好きだろ? だけど、あたしはもっぱらサイダーさね」「わたしもサイダー好き!」
ふふ、とケイトは笑う。
「カナはいいやつだ。あたしの魔法を信じてくれるってんなら、あたしがすごいヤツを見せてやるよ。SLへ乗って新しい世界へ行くのさ」
そういうと、魔女は、黒板に難しい数式と絵を書き出した。
そしてケイトはいかに新しい世界へつながる乗り物がすばらしいかを語って聞かせる。そこは真っ青な水と空を混ぜたような、光り輝く階段からつながっているステーションで、そこから発着するSLに乗って銀河の果てにある希望の国へ向かうという話だった。燃料はケイトの炎の魔法だった。
カナは、まるで、銀河鉄道の夜のようだ、と思った。きっと、ケイトがカナを新しい世界へと連れて行ってくれるのだ。そうに違いない。
「だけど、この問題が解けないといけない。連れて行ってやれんさね。そしてこのことは誰にも言っちゃいけない。2人だけの秘密だ」
そう言って、ケイトはカナにある問題を渡した。ケイトによると、この問題の答えの場所に、銀河鉄道のステーションがあるのだという。そして、そのゲートが現れるのは10日後の夜だ。
その切符を手にして、カナは一生懸命に勉強をした。カナは学校唯一の日本人だったから他の生徒にいじわるをされたけれど、気にせず算数だけでない数学の領域まで踏み込んで勉強をしていた。
やがていじわるをしていた1人が、カナが解いていた問題を取ってしまった。カナは取り返すためにケイトとのことを吐いてしまったが、いじわるをしていた子は薄気味悪そうにして、カナが秘密を話したにも関わらず、切符を隠してしまい、その場所を教えてくれなかった。
わたしのせいだ。わたしが話してしまったから。落ち込むカナ。
ケイトには言えない。どうしよう?
そこでカナはケイトが炎の魔女だったことを思いだし、もしかしたら切符が校内の焼却炉に捨てられているのではないか、と考察する。
果たして、切符はまさに焼却炉で燃やされる直前だった。カナは間一髪でそれを回収した。そして驚異の集中力で問題を解く。
時間は今日の夜だ。それまでに解かないといけない。
カナは気づく。XとYの交点が示すその場所は一番最初に2人が出会ったあの橋だ。
慌ててバスに乗って橋まで行くと、そこには魔女が立っていた。
「遅かったじゃないか」「ケイト、ごめん。その……」
「ふふ、やむを得ず誰かにしゃべっちまったんだろ」カナはハッとなる。
「あたしは魔女だよ。そんなことくらいすぐ分かっちまう」魔女は続ける。
「本当はこのままここから連れて行ってやりたかったがねぇ。あんたがもうちょっといい女になるまで待つことにしたよ。だから、ここでお別れだ」
ケイトがそう言うと、夜空からサイダーのように透明ではじけた液体が、滝のように落ちてきて、やがてそれが階段を形成した。
魔女は、カナと初めて出会ったときと同じくにいっと笑う。
「また、迎えに来るよ!!」
そして、風のようにやってきたSLに飛び乗ると、ケイトはそのままどこかへ行ってしまった。
橋の上に強い風が吹いて、あとには何も残らなかった。
だけど、カナの心に火がともった。
魔女が去ってしまってカナはとても寂しかったけれど、また出会えるという確信があったから。
何があっても胸を張って生きていこう、もっと数学を知ろう、と、その瞬間に決めた。
それは決して誰にも邪魔されない、透明な決意だった。
闇夜をてらす灯りのように
(本名)

コメント
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