頭の中がバグりそうだ。
夜の間中、俺はずっと、ダウンロードされた身体で、仮想現実の世界を生きている。
昼は動物園、夜は真っ白な壁に囲まれた飼育室の中で、俺はナマケモノとしてあるいは人間として生活をしている。
昼は、木に留まって、じっとしながら俺は考え事をしている。俺たちは、エネルギーを抑えるために、動かない。栄養価の低い葉っぱを食べて、ぼんやりと日々を過ごしている。
夜は、人の身体で何かの研究に付き合わされている。それが何かはわからないが、この仮想現実の世界はいつも夏で、俺は縁側にいて、ぼんやりと麦茶を飲んでいる。
昼も夜もナマケモノだろうと人間だろうと、見える景色に変わり映えがない。気になる事といえば、この麦茶だ。
いつも誰かが麦茶を運んでくれる。
一体、誰が運んできてくれるんだろうか。誰がいれてきてくれるんだろうか。
人影がいつも一瞬だけ見えて麦茶をおいてくれるが、いつもその影の正体を見ることができない。すぐに、ふっといなくなってしまう。
どうやらここには俺と同じような存在がこの園内にいる、ということになる。
そうこうしていると、また昼だ。ナマケモノとしての俺に戻って、風景が変わって、やってくる子供達に、かわいいだのなんだのと言われながら、またぼんやりと一体誰が俺の相手なのかを考え続ける。
いつの間にか、引きはがされてしまった俺の母親だろうか。あるいは、もっと他の動物だろうか。メスのナマケモノがいて、そいつも同じ境遇なのだろうか。俺は他の檻との交流がないから、そのあたりのことは本当にわからない。
飼育係の話を聞いていても、毎夜気の毒そうに俺を例の部屋へ移すだけで、それらしいことは話していなかった。
夏、縁側、日射が降りしきる中、俺は俺ではない誰かがいれてくれた麦茶を飲みながら、外の世界へ思いを馳せる。ふと、思う。麦茶をくれるあの影がいなくなった先には何があるのだろうか。謎の影は、もしかしたらそこで俺を待っていてくれるんだろうか。
俺は、この身体になってから初めて立ち上がり、影の先へと向かう。縁側から出て、初めて畳を踏む。ヘリの感触が足の裏に伝わる。ああ、これが立つって事か。
変な感慨に浸りながら歩いていると、廊下に出た。板敷きの廊下。歩く。ぎっぎっと音が鳴る。暗がりがある。気にせずに進む。すると。
出たのは、真っ白な部屋だった。いつもの、俺がつれてこられる部屋。
周囲には、研究員達がいて、みな一様に拍手をしている。どういうことだ?
「これは実験だったんだ」研究員は言う。「君たち動物が、自分の環境に疑問を持ち、その疑問を解決するために動くまでの時間。霊長類は早いと思っていたが、ナマケモノだとどうなのか。そう、それがちょうど議論されていてねぇ」興奮しながら研究員は伝わっているのかいないのか、わからない俺に話をし続けている。
それを聞いて、俺はぼんやりと感慨にふける。
ああ、そこにいたのは誰でもなかったのか。俺は何かを期待していた。
いつの間にかいなくなっていた母親や、別の動物や、メスの同類や、そういった何かを期待していたが、結局、相手はただのデータだった。
そう、所詮俺は実験動物にすぎなかったのだ。
手に入れた疑問も、解決したいと踏み出した一歩も、研究員どもの好奇心を満たすためだけの材料だったってわけだ。
やがて、朝がきて、俺はまた檻へと戻される。
そして俺はいつものように葉っぱを食べながら、木の上でじっと、虚空を見つめていた。
もう一度麦茶を飲んで、あのときの感傷に浸りたいと思ったが、俺があの実験に呼ばれることは、もう一切なかった。
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